日本には数多くの実業家が存在しますが、その中でも一代で「浅野財閥」を築き京浜工場地帯を生み出した人物として非常に有名なのが浅野総一郎という人物です。
浅野財閥は現在に続く丸紅やJFEエンジニアリング、日本郵船や東亜建設工業、NIPPOなど規模の大きな企業を手掛けた実績を持っています。
しかし大財閥として成功するまでには数々の長い道のりがあったといわれており、十五財閥の一つに数えられる非常に大きな財閥でもあります。

浅野総一郎の生い立ち

浅野財閥を一代で築き上げた浅野総一郎の生い立ちは、富山県の医師の長男として生まれ親の反対を押し切って家業である医師を継ぐのではなく、商人になることを決めます。
商人で大成するためにも様々な商売を行いますが、将来的にセメントが建築資材の重要な柱となることに気付いたことから、浅野セメントを設立したことからのちに日本セメントや現在の太平洋セメントの基礎となりました。
このことから日本におけるセメント産業の礎を気付いた人物だと、日本の臨海工業地帯開発の父やセメント王と呼ばれる存在となりました。
実際に浅野総一郎がセメント事業を始めたのは、渋沢財閥で非常に有名な渋沢栄一と出会ったことにより投資家として強力なバックアップを受けることができたことが大きく影響しているなど、浅野総一郎にとって渋沢栄一との出会いはその後の浅野財閥を大きく左右する出来事となったほど、渋沢財閥とは深い関わりがあります。

渋沢栄一や安田善次郎の助けがあった

その後は安田善次郎の後援を受けたことによって、安田銀行の協力のもとで鉱山や造船、海運や埋立事業、電力など幅広い事業に精鋭的に進出していきます。
この時に多くの子会社を設立していますが、これらの事業を統轄するためにも浅野同族会社を設立したのもこの時期です。
このように浅野財閥の成功の裏には、浅野総一郎本人の努力や功績はもちろんのこと、渋沢栄一や安田善次郎の助けがあったからこそ成り立ったともいわれ、一代で財閥を大きく成長させた後昭和5年の83歳で亡くなりますが、その後長男である泰治郎ら一族が様々な事業を継承していくことになります。
当時は窯業や金属工業などで大きく発展していきましたが、第二次世界大戦後には連合国最高司令部であるGHQの司令により解体され、その後傘下企業の多くは芙蓉グループに属しているものが多いです。

48歳になった1896年に東洋汽船株式会社を設立

浅野財閥を大きく成長させた浅野総一郎でしたが、若い頃は様々な事業に手を出しては失敗が続いている現状でした。
しかし渋沢栄一と安田善次郎との出会いが転機となり、48歳になった1896年にはずっと夢に見てきた海運業を始めるために東洋汽船株式会社を設立しています。
同年には欧米に視察に行き、欧米での湾岸開発の発展に驚いた浅野総一郎は横浜に変えると港湾の近代化を目指すようになりました。
日本で最初とされる臨海工業地帯は、工場と港湾が一体化しており東京から横浜にかけて海岸部に独力で建設を決意します。
この時も安田善次郎が計画の価値を見出して支援を積極的行ってくれたこともあり、財閥が急成長するきっかけとなりました。
次に京浜工業地帯に鶴見線の全身となる鶴見臨海鉄道を建設しますが、横浜鶴見にある浅野駅は浅野総一郎の名字からとられていることは有名であり、終点の扇町駅がある扇町の地名は、浅野家の家紋にある扇にちなんで名付けられていることも有名です。

大倉喜八郎や渋沢栄一と共にサッポロビールを設立

北九州市の小倉北区の埋め立て工事にも浅野総一郎は関わっていることから、その場所にも浅野の地名が残されました。
他にも数々の活躍や功績を気付いており、大倉喜八郎や渋沢栄一と共にサッポロビールを設立し、戸畑鋳物と共同で自動車開発を行ったことでその後日産自動車の基礎を築きました。
財閥を成長させる一環となったセメント業では、宮内省にセメントを納めた事によりそのセメントが皇居建設の基礎に実際に使用されています。
息子の浅野泰治郎からは事業は父の道楽であったと述べられるほど、数々の新事業を手掛けていき事業王としての名前も持っています。
現在まで浅野総一郎を題材にした作品はいくつか執筆されており、特に代表的とされるのが新田順子が執筆した「九転十起の男」があります。
この本をベースにして2006年には「九転十起の男-浅野総一郎の青春」という映画も公開されています。
他にも出町譲が執筆した「九転十起事業の鬼・浅野総一郎」があり、浅野総一郎の生涯を描いた作品ですが、特に手掛けた事業について非常にわかりやすく書かれていることが特徴の一つです。

まとめ

このように数々の企業や事業の基盤を築いてきた人物であり、現在も多くの人に慕われ続けています。
生涯を描いた書籍や映画も多く、鶴見や小倉には名前にちなんだ駅名や地名も存在しているほど高い影響力も持ちます。
現在中学校、高等学校とある浅野学園の敷地内には、浅野総一郎を模した巨大銅像も建てられており横浜を代表する人物として語り継がれています。

 

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